Diary
「僕は十字路へ行って、膝から崩れ落ちた」
みなさま、お元気ですか。残暑お見舞い申しあげます。
僕はというと、一連の佐賀〜岡山ライブが終わり、東京に戻ってようやくひと息、
といったところです。まだまだ非常に暑いですし、コロナも流行っているようですので
ご自愛ください。
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さて昨夜、YouTube に近日リリース予定の
MAMALAID RAG REUNION CONCERT 2024 DVDから抜粋した
クリームの「クロスロード」の演奏をアップロードした。
これは、コンサートを映像収録すると決まったときから温めていたもので、
長い期間、ミックスに時間を費やした。
昨今の動画に溢れている、歌・演奏と映像が別録りのものではなく、
正真正銘、一発勝負のライヴ演奏である事がとてもうれしい。
さらに、ベースとギターはエフェクト・ペダルを一切使わず、
いわゆる「ひも一本」(ケーブルでアンプに直結する事)である。
僕は久しぶりにマーシャル・アンプを使用した。
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今も何度か動画を観ながらこの文章を書いているのだけれど、
改めてふたり(江口・山田)の演奏能力には驚くばかりである。
我々は、高校生(山田さんは大学生)のときに既に
これと同等もしくはそれ以上の演奏をしていたし、今回のプレイに関していえば、
20年近くもの間、ふたりはほとんど楽器に触っていなかったというのに加えて、
リハーサルでも2〜3回しか演奏していない。
音楽というのは、やはりテクニックではないのだな、と思い知らされる。
生まれもった「感性」や、「どう生きてそれを磨いてきたか」、
ということに尽きるのだろう。
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Crossroads(クロスロード)は、世界中のブルーズをルーツに持つ
ミュージシャンにとって、そして僕にとっても、とりわけ特別な曲だ。
作者のロバート・ジョンソンは、1930年代にこの十字路(クロスロード)で
自らの魂と引き換えに、類い稀なギターの才能を得た、と噂されてきた。
しかし、そんな伝説とは関係なく、僕はこの曲の冒頭と最後の一行を聴いたとき、
自分が今まさに十字路にいるかのような感覚に落ちいった。16歳のときである。
歌詞は個人的な内容だったりして少々わかりずらい部分もあるけれど、
僕なりに訳すと、こんな感じだ。
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”Crossroads”(十字路)
I went down to the crossroads, fell down on my knees
僕は十字路へ行って、膝から崩れ落ちた
Down to the crossroads fell down on my knees
十字路へ行って、膝から崩れ落ちた
Asked the Lord above for mercy, "Take me, if you please"
天の神に慈悲を乞うた、「どうかこの僕をお連れになってください」
Down to the crossroads tried to flag a ride
十字路へ行って車を停めようとした
Down to the crossroads tried to flag a ride
十字路へ行って車を停めようとした
Nobody seemed to know me, everybody passed me by
僕を知る人なんて誰もいなくて、みんな通り過ぎていった
But I'm going down to Rosedale, take my rider by my side
それでも僕はローズデイルに向おうとしている、運転手のとなりで
Going down to Rosedale, take my rider by my side
ローズデイルに向おうとしている、運転手のとなりで
We can still buy a house, baby, on the riverside
いまだって一軒家を買えるさ、ベイビー、河沿いにある
Going down to Rosedale, take my rider by my side
ローズデイルに向おうとしている、運転手のとなりで
Going down to Rosedale, take my rider by my side
ローズデイルに向おうとしている、運転手のとなりで
We can still buy a house, baby, on the riverside
いまだって一軒家を買えるさ、ベイビー、河沿いにある
You can run, you can run tell my friend boy Willie Brown
飛んで行って、 飛んで行って友達のウィリー・ブラウンに伝えて
Run, you can run tell my friend boy Willie Brown
行って! 飛んで行って友達のウィリー・ブラウンに伝えてくれ
And I'm standing at the crossroads believe I'm sinking down
そして僕は十字路に立ち尽くし、確かに沈んで行っている
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あれから30年近くが経ち、僕はいまポップスをやっているけれど、
心の奥底にはいつもブルーズが流れている。
堪え難い悲壮感を歌った、ロバート・ジョンソンのこの「クロスロード」が。
そして、思わずにはいられない、
再結成コンサートで唯一のカヴァー曲としてそれを演奏することになったのは、
その深層心理がそうさせたのだと_____________。
2024/08/18
「成功する方法」
昨年、再結成ニューアルバムをリリースし、
いま、ママレイド ラグ デビュー20周年コンサートを目前に控えて
いろいろなことが一つの区切りを迎えているような気がしているのだけれど、
散歩をしたり、シャワーを浴びたり、朝、顔を洗ったりしているときに
これまで「ヤッテキタコト」をふと少しだけ振り返ることがある。
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まあ、世の中のメインストリームで大活躍されていらっしゃる方々からすれば
僕など、音楽業界の端くれにも満たない存在であるけれども、
それはそれとして、音楽(=創作活動)を続けていく上で
自然と定まってきた姿勢のようなものが、ないわけでもない。
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我々、アーティストなどというものは、日々、生活している事自体が
仕事なのであって、つまりはいつも仕事をせずに遊んでいるようなものだから、
エラソーなことは間違っても言えないのだけれど、
僕が生きていく上でひとつ決めていることがあるとすれば、
「成功者の名言のようなものは、決して参考にしない」ということである。
結構、そういった類の「成功者の指南書モノ」は聴衆に受けるようで、
立派な書籍としてベストセラーになっていたり、webニュースの記事になっていたり、
SNSで拡散されていたりするけれど、正直言って、そんなものを買ったり
読んで参考にして本気で成功できると思っているのだろうか、
といつも不思議に思ってしまうのである。
もし僕にいま、ガール・フレンドがいて、
どんなに美人でスタイル・バツグンだったとしても
彼女の部屋に行った時に、若手IT系実業家の「時短術」、なんて本が本棚にあったら、
申し訳ないけれど、さっさと帰っちゃうと思う。しまってあるならまだしも、
ちょっとそのセンスに幻滅しちゃうもんね。
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かの有名な、ポール・マッカートニーさんも
「ヒットする曲作りの法則なんてないんだ」とインタヴューで
おっしゃられていましたが、これが真実だろう、と僕は思う。
結局は自分で真似て、学び取って、
それぞれが「自分にあったやり方」を身につけるしかないし、
曲作りなんて、一曲一曲が発明みたいなものなのだから、
柔軟にその都度出会った問題に対処して整え、磨き上げていくしかない。
僕は会社やなんかで働いたことはないからわからないけれど、
どんな仕事にも言えることなんじゃないか、と想像する。
それにそもそも、成功者の言う「こうしたから成功した!」なんて言葉は、
まったくの「後出しじゃんけん」である。結果が出ていなかったら、
言うわけない言葉たちだったであろうから。
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そんなわけで、今日も、
「最短で成功する方法」も「時短術」も「楽する稼ぎ方」も参考にしないで、
ボケっといろんなことに考えを巡らせながら、忙しく日々を生きております。
っていう本を今度出そうかな。
なんちゃって、ジョーダンです。
いやぁ、オソマツ。
2024/03/04
「再び、クロスロードで」
みなさん、今日和・今晩和。最近はSNSばかりで文章を書いていて
(とは言っても世間のSNS発信者からすれば本当に少ない頻度ですけれど)、
こちらのオフィシャル・ホームページでのDiaryの更新はすっかり止まっておりました。
しばらく、SNSだけに身を置いてみて、いろいろと思うことがあって
(みなさんも、多かれ少なかれ・遅かれ早かれ、そうではありませんか?)、
今後はまた文筆の比重をこちらに戻して、できる限り更新していきたいと思っております。
様々な告知ツールとして、好むと好まざるとに関わらず
SNSを使わざるを得ない世の中であるので、そちらも続けますけれど。
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さて、昨年12月13日にママレイド ラグ デビュー20周年再結成ニューアルバム
「OVERTURE」を配信リリース、12月20日にCDを全国リリースして
宣伝やいろいろな事務処理、ライヴの企画や今後の活動予定の構築など
「ヤルベキコト」は山積しているものの、今はホッと一息、
アーティストにとって、もっとも穏やかな時期を過ごしている。
時折、アルバムを自宅スタジオのスピーカで聴いたり、
移動中にワイヤレス・イヤフォンで聴いたりして、様々な角度から再検証している。
もちろん、これまでのアルバムと同様、リリース後に聴き返したときのように
「ああすればよかったな」「ここが気になるな」などということはあるけれど
(完璧な作品など存在しないのだから、あって当然である)、
オリジナルメンバー3人が集まって記念碑的な作品を創り上げるという大仕事において
その結果にとても満足している。
2010年の「SPRING MIST」から2021年の「The Best of MAMALAID RAG 2009~2018 Vol.1」まで
11年の間に(基本的に)僕ひとりで創り出したアルバムはライヴ盤を除くと7枚となるのだけれど、
それらと比べて、今回あの2人と創るということは、全く違う感覚のものだった。
ソングライティングは全て僕のペンによるものだし、リズムアレンジを除く上物
(うわもの;ハーモニー楽器・ストリングス・コーラスアレンジなど)アレンジも
僕が書いたものである。にもかかわらず何が違うのかというと、2人にアイデアを提示するとき、
無意識に僕は自分の能力をはるかに超えた領域で、より普遍的な、
もっとわかりやすく簡単な言葉で言えば「ポップな」ものを求められる点にあるのだと思う。
さらには江口直樹、山田潤一郎が加わったママレイド ラグのプロデュース作品となる時点で
2人は実際にいろいろな忠告や、アイデアの提示、方向性の舵取り、
素材の取捨選択などをするのだから、変わって当然と言えば当然である。
その違いを、「そうそう、これこれ、この感じ」と言った具合にファースト・アルバム制作時のことを
想起させられながら、極限状態までの「産みの苦しみ」を味わうと同時に
(追い込みの時期には朝7〜8時にようやく寝るという有様だった)
実に愉快に、一曲一曲を粘り強く仕上げていったのだった。
CDのクレジットに記載されている共同アレンジのキーボーディスト、柴田俊文さんとの立ち位置も
ファーストと変わらず、「アレンジの先生」といったものだった。
僕が書いた譜面で、迷っているところ・楽典的な損得のような部分を的確に指摘し、
アドヴァイスをくれるのである。柴田さんがいなければ、その往年の鍵盤の演奏はもちろん、
アレンジにおいても味気ないものになったであろうことは間違いのないところだったと思う。
それに加えて、柴田さんは、突飛なアイデアをぶつけても「オッケー、田中ァ。わかった、やってみよう」
と言って我々と一緒になってアイデアを試し、具現化してくれる。
長年の経験上、技術のないプレイヤーに限って拒否反応を示しがちで、エラソーに自己主張が強いものだ。
その点、柴田さんは演奏家としても人間的にも懐が深く、とても尊敬する素晴らしいミュージシャンである。
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うれしいことに、オフィシャル・ホームページのメッセージ・フォームから、
「とても素敵なアルバムで、繰り返し口ずさんでいます」
とのメッセージをたくさんいただいている。
そして先日の、渋谷タワーレコード・インストアライヴのリハーサルで
2人が、「やっぱり、アルバム、いいね」と明るい笑顔で言った。
アルバムの制作作業がすべて終わったのは、昨年の11月22日だったのだけれど、
これでようやく「アルバムが出来上がった」、と心から感じた。
20年ぶりに3人は人生のクロスロード(交差点)で偶然に出逢い、僕らはアルバムを創った。
それはとても素敵な出来事だったし、満足のいく作品として結実して、僕らの記憶に残った。
その記憶を想い出の一つに加えることができて、僕はとてもうれしい。
いつどこで、この生命が終わりを遂げるか分からない人生の中で。
そして、それを皆さんと共有できたことを、とても誇らしく、喜ばしく思っています。
渋谷タワーレコードでのイベント、そしてそう遠くない未来に行われる再結成ライヴをお楽しみに!
2024/01/18